鳥海山のふもと「にかほ」にある小さな酒蔵


秋田県南部、日本海に裾野を浸し海岸から立ち上がるように聳える霊峰・鳥海山ちょうかいさん
その北の山裾に日本海に面して広がるにかほ市は、海岸あり、渓流あり、平野ありの起伏に富んだ景観が広がり、
清らかな湧水に恵まれ、海産物や米を始めとする産、山と海に抱かれた風光明媚な街。
鳥海山からの恵み豊かな土地で、高原あり、湿原あり、温泉ありと自然も豊かです。
北上する対馬暖流の影響を受けるため県内では温暖な地域ですが、
冬は厳しい季節風に見舞われ、海岸部では「波の華」も見られます。

厳しい寒さがうまい酒をつくる


蔵はにかほ市北部の平沢(旧仁賀保町)にあります。
この街は江戸期に、
仁賀保氏の城下町・羽州街道の宿場町・北前船の寄港地として栄えたところ。
その中心部、海岸から50mほどの街道沿いに蔵は建っています。
明治15年築の土蔵は、温度変化にも負けない酒造りに適した環境を生み出し、
また蔵の外には創業以来、樹齢500年の大きな欅の木があり、
夏場の日光を遮り、蔵の温度を低温で保つ役割を担っています。






創業1487年、室町時代の創業


東北で最も歴史があり、全国でも3番目の酒蔵です。
創業は1487年(長享元年)、時は室町時代。
3年後の年は八代将軍・足利義政が京都の東山に銀閣寺を建立しています。
現在の当主は二十六代目。

斎藤家の屋号「泉屋いづみや」が示す通り、
斎藤家は関西の泉州(現在の大阪府泉佐野市)より仁賀保にかほへと移り住みました。

「飛び切り良い、白い水」


宝暦年間から天保年間を生きた名僧・良寛和尚の友人で、
仁賀保(にかほ)に暮らしていた「増田ますだ九木きゅうぼく」という画家が、
良寛へ宛てた手紙にトンチのきいた名言を書き残しました。
それは「飛び切り良い、白い水」という言葉。
つまり、「飛」と「良」を並べる「ひら」は
平沢にかけた言葉で、
そして「白」と「水」は上下に並べると「泉」。
これは斎藤家が「泉州出身」であるという意味合いがあります。
それまでは「金亀きんき」という銘柄でしたが、
この九木の自慢話が噂を呼び、酒銘「飛良泉」が誕生しました。




こだわり「山廃やまはいづくり」


飛良泉の特徴は、酒母を「山廃仕込み」で作ること。
正式には山卸やまおろし廃止仕込みといい、昔ながらの酒母製造方法です。
蒸米、麹、水を仕込んだ後で、櫂棒と桶ですり潰す“山卸やまおろし
と呼ばれる作業を廃止することで“山廃仕込み”になります。
山廃仕込みでは、空気中の乳酸菌など微生物の力をいっぱい借りて、
自然のままに酒母を培養・育成します。つまり、
微生物によって有害な雑菌を滅し、酵母がしっかり育つ環境を整えます。
そうしながらも微生物は、
麹から生まれた糖分と乳酸菌の造る乳酸によって死滅し、
最後には、強まった乳酸も出来上がったアルコールで弱まります。
自然の摂理にかなった醸造方法です。
人の手で乳酸を入れる「速醸」酒母は約2週間ほどで仕上がりますが、
「山廃」酒母は30日ほど必要です。
空気中の乳酸菌などの微生物の力を利用し、
自然のままに酒母を培養、育成。
微妙なさじ加減の温度管理が必要とされます。
手間ひまを惜しまず、手のかかる我が子を育てるように作られています。